つい眠ってしまったので仕方がないことだけれど、トンネルを過ぎた時、私の頭はほとんど半分蝉になっていた。

もともと今日の電車は様子がおかしかったのだ。

夕方。いつも通りに帰りの電車を待っていたのだが、やってきた電車のほぼ全ての窓には登山用リュックサックほどの大きさの蝉が張り付いていた。どの蝉も背中の翡翠色がまだ美しい、きっと脱皮したてなのだろうと思った。

どういうわけでそうなったかは知らないけれど、脱皮したての蝉をこんなにたくさん眺める機会なんてそうそうないので、私はこの電車に乗らないわけにはいかなかった。

蝉どもは電車が停まって、発車してからも微動だにせず、鳴く様子も見られなかった。脱皮したての蝉のふやけた翅の先は、風で少しだけはためいていた。

私の家の最寄りは三駅ほど先。疲れていた私は電車の揺れで少しウトウトして、頭を窓の方にもたげた。蝉の腹が揺れる瞼の間からよく見えた。

私は朦朧とする意識の中、明日の予定と、帰ったらすることを考える…しかし、この電車は異様に静かだ。乗ったときにはそれなりに乗客がいたのに、話し声も音も全くしない。

そうか、夕方だし、みんな仕事帰りだから疲れて眠っているのかもしれない。そういえば席に座る時、隣の乗客も疲れていたのか、眠った顔の半分が蝉になっていたから、そういうことなんだろう。私は納得して、自分も仮眠を取ることにした。

そういうわけで、最寄り駅の手前でなんとか目覚めると、顔の半分はやっぱり蝉になっていた。しかしわたしの蝉になっているところはどうもこの電車から降りるつもりがないらしく、窓の外の蝉と向かい合って泊まっている。

しかしもうすぐ駅についてしまうし、なんとかしてわたしの蝉でない所だけでも降りなければならない。明日も仕事があるのだ。

わたしはなんとかわたしの蝉でない部分である手足を動かした。すると、私の蝉の部分が私の私である部分からするするとぬける感覚がした。

蝉でない部分は降りられるらしいことにほっとした私は、駅に着くとなんとか電車から降りた。電車が去ってしばらくすると、遠くから凄まじく大きな蝉の鳴き声が聞こえてきた。

やっぱりもう夏なのだな。そう呟いたわたしは、蝉のない顔で夕方の涼しさを感じた。

※去年7月に書いたものの、出すタイミングがなく放置しすぎてしまったもの。もちろんフィクションです。

咲かない庭のアリス

自分を夢だと思い込んでいる現実の子と、自分を現実だと思い込んでいる夢の子がいました。夢だと思い込んでいる現実の子は、現実の部屋で暮らすのをつまらなく思いました。現実だと思い込んでいる夢の子は、夢の部屋で暮らすのが馬鹿馬鹿しいことに思えました。

ある時、二人はお互いの部屋に額縁があることに気づきました。そしてさらに、この額縁を通してお互いの場所を行き来できることに気付いたのです。こうして現実の子は夢の部屋、夢の子は現実の部屋で暮らせるようになりました。

しかし程なくして二人はそれぞれの部屋でまたべつのことに気付きました。まず現実の子は、夢の部屋には別の夢に通じる扉があることに気づきました。そして夢の子は、現実の部屋に他の現実を覗く窓があることに気づきました。夢の子は、他の現実があることに興味を持ち、窓を開けてみました。そして窓の外を通りがかった顔を見て驚きました。そこには、扉から出てきた現実の子の顔がありました。

2019年11月のデザインフェスタで販売した物語画集「煙たい惑星」より、「煙い月」

※この文章は画集にて上記の絵に寄せたものです。

煙い月

ゴミ捨て場の横に、アルミ製の灰皿がカラカラ転がっていたのです。真ん中の方は木星のように赤茶けて、外側を灰色の塵が包んでいるような古いものでした。

それから、私がそれをビニール袋にしまおうと片手でつまみあげると、突然私の体の重さがつま先から頭の方へ突き抜けるような感覚がしたのです。その時は何がなんだかわかりませんでしたが、しばらくしてどうやら自分が灰皿の方から空へ転落しているらしいのが分かりました。

私の体はものすごい速さで雲の中に引っ張られ、分厚い水蒸気で何度か溺れそうになりました。なんとか堪えると、しばらくして自分の肺の真ん中あたりから、体が柔らかく軽くなっているのに気付きました。柔らかさはどんどん広がって、最後には私の内側と外側は煙が翻るように反転してしまいました。

それから今日まで、することもないので私は自分の煙たい体で曇った月を眺めたりしています。

2019年11月のデザインフェスタで販売した物語画集「煙たい惑星」より、「煙い月」

※この文章は画集にて上記の絵に寄せたものです。